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東京高等裁判所 昭和36年(く)133号 決定

少年 N(昭一八・一・二〇生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件記録を調査すると、原裁判所が少年を中等少年院に送致する旨の決定をしたのは昭和三十六年十一月二十四日であり、これに対し、附添人弁護士佐久間武人から同年十二月五日抗告の申立があつたが、右申立書には右決定は不服であるから抗告するとの記載があるのみ(別紙一参照)で抗告の趣旨を明示せず、その後同月二十一日附添人から抗告理由書と題する書面(別紙二参照)の提出があつたが右は抗告期間経過後にかかるものであつて、結局本件については抗告の手続が法令に違反するものといわなければならない。(なお本件記録を調査するも原決定には重大な事実の誤認又は処分の著しい不当があるものとは認められない。)よつて少年法第三十三条により本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 山本長次 判事 荒川省三 判事 今村三郎)

別紙一

抗告申立書

少年 N

右の少年に対する暴力行為保護事件(東京家庭裁判所昭和三十六年第二〇、一二〇号)について昭和三十六年十一月二十四日東京家裁がなした「少年を中等少年院に収容する」旨の決定は不服であるから抗告致します。

昭和三十六年十二月五日

附添人弁護士 佐久間武人

東京高等裁判所 御中

別紙二

抗告理由書

少年 N

右の少年に対する暴力行為保護事件について昭和三十六年十一月二十四日東京家庭裁判所がなしたる決定に対し昭和三十六年十二月五日抗告の申立を致しましたがその申立の理由を左に申し述べます。

一、右少年が本件問題を惹起した△△のバーに勤めましたのは前職の××の純喫茶「○」が突然閉鎖されたため止むを得ず一時凌ぎに数少ない知人を頼り正しい職業として就職したものであります。

本人はその店のマスター又はマネージャーの資格であり暴力団である○○組のよいところの地位をしめていたとのことでありますがそれはあくまでも本人の申出と他からの申立であります。

風俗営業違反の疑いで検挙されました際には同店勤務の同僚四、五人集団でありその集団の人々は本人を除きすべて成年者であつたと聞き及んで居ります。

この様な成年者の中で就職間もない未成年者である右少年が店の経営を左右する責任ある地位にあるものでせうか大いに疑問とするところであります。

殊に昭和三十六年八月頃右少年より保護者へ電話がありました際「家に帰りたいが仲々思ふ様に行かない」旨の意味の言葉がありましたが、この様な特殊な世界だけに通用する何ものかが存在するものと思われます。

恐らくはその何ものか得体の知れない強い圧力と就職世話の義理にはさまれ渋々違反行為をしたか又はその責を引受けたものと信ずるのであります。

本件暴力行為の疑いに致しましても現行犯ではなく数月後の検挙であります事実からして果してどの程度に暴力行為に干係したものであるか本人の調査時の申立だけではその真実性は全く疑はしいものと考えられます。ましてや昭和三十六年三月より同年八月迄の六ヶ月間という短時日の間に資力もなく学力もない本人が○○組という暴力団の良い地位にのし上れるものでせうか。

本人の自白は全く不自然であります。従つて本人の自白は事実無根を申し述べたものであり俗に謂ふ替玉と確信するものであります。

即ちこの点につき東京家庭裁判所は重大な事実の誤認をなしたものであり、よろしく本人の犯罪行為につき再調査をなし事実を正確に把握すべきであります。

二、今回の本人の上京は家出ではありません、調査官は本人には放浪性があると申して居りますが全く当つていないのであります。

即ち昭和三十五年十二月二十九日母親○子(戸籍上はある事情により姉となつている)の友人で熊本市在住の○田○一氏の紹介と保証により担当保護司の了解の下に東京都中央区○○町○丁目高級野菜取扱店○○商店に単身上京就職したのであります。

と申しますのは母○子は熊本にて現在踊の師匠を致して居りますが、将来旅館を経営する計画がありこれを長男である本件本人に一任させたいと考えて居るからであります。そのためには高級野菜の知識を得させておきたいという親心からの上京就職であつたのであります。

ところが本人は昭和三十六年二月中旬に同店を退職いたして居ります。

それも雇傭条件が著しく相違していたためであり本人からの連絡で母親である○子は了承済であります。

又昭和三十六年三月三日の東京都○○区○○×丁目純喫茶「○」へのバーテン見習の就職も本人よりの熊本への電話連絡により母○子は了解済であり又同年四月中旬の同店経営不振のため突然閉鎖による退店も電話連絡により承知済であつたのであります。

唯残念なのはその後の就職については電話で元気で居るから心配するなという電話のみでその勤務先の住所を聞き洩らしていたのであります。

それに今度の東京家庭裁判所よりの昭和三十六年十月五日送達の突然の通知であります。

母○子の驚きは言うまでもありません。母○子は右通知を受くるや取敢えず昭和三十六年十月十二日東京家庭裁判所少年部松元調査官に架電し上京の意思を伝え十月十四日上京、十月十六日松元調査官に面接し、更に本人の勾留先である××警察署に本人との面接を申込みましたが勾留していないとの理由で面接不能、××警察署の教示により東京地方検察庁刑事部高木検事と面接歎願して熊本に帰つた次第であります。

次で母○子は十一月四日叔父○彦を上京させ、○彦は十一月六日松元調査官に面接今後の本人に対する方針、心構え等を開陳し寛大な保護処分を歎願し、更に同氏は本人より母親宛の裁判官に会つて下さいとの葉書を提示いたしまして裁判官との面接について相談しましたが、その必要はないとの指示がありましたので裁判官との面接を断念し同日午後五時少年鑑別所に於いて本人と面会、本人を激励して熊本に帰つたものであります。尚審判期日であつた十一月二十四日には母親○子病気のため叔父○彦を上京させ審判に立会せたのでありますが、母親○子、叔父○彦が心から本人の将来の福祉のためによかれと念願していた少年法第二十四条一号の処分はなく本件決定の如く中等少年院に収容されて了つたのであります。

茲で強く申上げたいのは昭和三十六年八月十三日同八月十九日の本人の風俗営業違反の疑いでの逮捕であります。

いずれも東京家庭裁判所に身柄を送致され本人は釈放されているのであります。

そしてこのことは一切保護者である母親○子には通知されていないのであります。

熊本在住の保護者が本人の所在を探していた矢先だけに若しこのときに何等かの通知があつたならば、保護者は即刻本人を引取り本件の如き過失を未然に防ぎ得たのであります。従つて東京家庭裁判所が保護者に通知をしなかつたという措置は極めて遺憾であります。

本人の母親○子及び家族への関心の程度又保護者の家族及叔父○彦の本人に対する愛情の深さ及東京家庭裁判所の処分の過程は前述の通りであります。

申す迄もなく少年法は少年の健全な育成を期し非行の少年に対しては性格の矯正、及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的として居りますし、先日の少年を扱う裁判官への訓示にもあります様に「より教育的」な処分でなければならないと信ずるものであります。

本件に於いても真実を明らかにし少年である本人の福祉のために、より教育的である保護処分を切望するものであります。即ち本件処分を取消し今一度保護者である母親に返して頂き暖い愛情のもとに本人を更生させることが本人の福祉のための適正な保護処分であると信じ敢えて抗告した次第であります。

昭和三十六年十二月二十一日

附添人弁護士 佐久間武人

東京高等裁判所 御中

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